2009年1月21日水曜日

ムグピーク (Mugu Peak)

1月18日(土)、久しぶりにハイキングに行ってきました。
場所は海岸をずんずん北上、マリブを越えてまだ北に、ベンチュラ郡に入ったところにあるポイント・ムグ州立公園にあるムグ山です。頂上(1266フィート=386メートル)から下を見下ろすと海軍の基地があり、日本の自衛隊もそこでミサイルの実験をしてたりするとかしないとか。

んなこたぁどうでもいい。
海岸線沿いに比較的昇り降りのなだらかなトレイルが伸びて行く気持ちのいいルートです。
距離は10.8マイル(17.4キロ)と、少々長いものの、登山道は平たくほとんど整地されてるかのような歩きやすい状態で、しばらく体を動かしていなかった後のトレーニングにはちょうどいいハイキングです。

が、しかし!
暑かったっす。
何しろ1月だというのにここんところ記録的な暑さが続いており、ついに華氏80度超(摂氏26.7度)が昨日(火曜日)で11日連続になったとか。やっと今日から少し温度が下がってきましたが、ハイキングに行ったのはその80度超がどこまで続くのか、という期待(懸念?)が盛り上がっている真っ最中。
なのに、久しぶりのハイキングで勘が狂ったか、帽子を忘れてしまった。。。。。ムボーなハイキング。
しかも、カメラも忘れてしまった。。。。サイアク。

ですが、このトレイルは3回目なのであり、前回(3年前だけど)行ったのもちょうど1月だったので、その時の写真を載せてみましょう。


こんな所です。

しかし、暑いのにけっこう人々が歩いておりました。走っておりました。自転車に乗っておりました。

用もないのに。

今回、この「用もないのに」というのが引っかかりましてね。
ハイキング大好きなんですけど。
歩く、というこの単純な行為が何とも言えずおもしろくて、なんだか長々と歩いているということが「かっこいい」とも思えたりして。

でも、「用もないのに」って気づくととたんに、やけに、かっこわるく思えてしまう。
これが、「この山の先に用事があるのだ。そこに行かなければならないのだ」ということでてくてく歩いているのなら、それも歩き慣れたふうにすたすたと歩いているのなら、どんなにかっこよいことでありましょう。

いや、たとえこの山の先に用事があったとしても、車でひょいと行けるような道が別にあるなら、わざわざ歩いていることはかっこよくも何ともないわけで。つまりやっぱり「この山の先に用事があるから行かなければならないのであり、この山道以外にそこに辿り着く道はないのでこうして歩いているのだ」ということでないとかっこよくはならないのです。「歩く」という行為はやはり移動の手段として存在するのでなければならないわけで、それも目的があるからこそ移動するというのでなければならないわけですよ。つまり、近江商人かなんかが江戸の街に用があるから、街道を歩いているうちに山に入ってしまったけど、もう何日も歩き慣れてるからこんな山道だって歩いちゃうのさ、とかいうのが理想。(近江商人は「ちゃうのさ」なんて言わんやろうけど)

なのに私には用がない。
なのにてくてく歩いてる。
なのに「暑い」とか文句言ってる。
変だ。
変だよね。
ああ、なんだか恥ずかしい。

なんて心の中で身悶えしながら黙って歩いていたら、いっしょに歩いていた山男はさらに不謹慎なことをつぶやいています。
「あそこの斜面をだーっとまっすぐ降りてきてたら、近道だったのになあ。えらい回り道させられたなあ。ぶつぶつぶつぶつ。。。」

おいおい。
我々は今日、たくさん歩くためにわざわざここに来ているのであり、ただ、歩くという目的のためだけに来ているのであり、それ以外に用事も何もなくてきているのであり,、、、なのに「近道」って、、、何のための近道なん?

用事がなくて歩いているということがこんなに気になってくるとやはり走っている人や自転車に乗っている人のことも気になりますよね。
なぜ君たちはそんなに急いでいるのだ、と。
君らはメロスか、と。
この道の先にセリヌンティウスでも待たせてるんかい、と。

あ、余計なお世話でした。

今年もこんな面映い思いをかかえながらそれでもてくてく歩き続けようと思っています。

2009年1月11日日曜日

じゅり〜〜っ!!





















皆様,遅ればせながらあけましておめでとうございます。
しかしながら、本来の定義によれば1月15日までが松の内ということですから、一応まだお正月気分ということで。
今年もよろしくお願いいたします。

さて、我が家ではケーブルテレビでTV Japanという24時間日本語放送が見られることになっています。
が、本来テレビというものをあまり見る習慣がないので、せっかくの日本語放送もたま〜にしか見ません。
大相撲の場所中は毎日全取り組みが見られることが分かり、癖になってしまった、というのもほんの先場所のことです。
(日本は昨日始まったんですね、初場所。こっちは今日から毎晩見ます!)

それが、おとといの晩9時半ごろふとテレビをつけると「この後の番組」という一覧が流れている。

「10:10 ジュリー祭り」

ジ、
ジュリー祭りぃいぃ?

「人間60年 沢田研二コンサート」という副題も書いてある。
うわぁぁぁ、本物だ!モノホンだ!ジュリー様だぁぁぁ!!!

本当にこんな偶然があっていいのでしょうか。
1週間に2〜3度つけるかるつけないかのテレビをつけ、さらに訪れる確率の低いチャンネルに行ったらそこにジュリーが。

ジュリーには特別の思い入れがある私です。
しかし、スーパースターの座を降り、テレビにも出なくなり、紅白からも姿を消した頃,私も日本を去りましたので、今ではたまに昔の曲を聴いたり昔のビデオを見たりする程度で、いったい近年何をなさっているのかさっぱり知らないままに過ごしておりました。
(思えば、「寅さん」で田中裕子と共演したのを見て「ああ、もうあかん」と思ったのが転機だったように思います。)
時折、何かの拍子に触れるジュリーの映像は昔とはずいぶん様子が変わっており、それにつけても「もうあかん」と思っていたような、決して忠実なファンとは言えない私でありました。

まあ、長い話は端折りまして、そのジュリー祭りですが。
後で判明した所によると東京ドームでの6時間45分に渡るコンサートだったと。
それをNHK BSが90分の番組にまとめたものだったと。
で、どうやらTVジャパンがそれをさらに80分ぐらいに縮めてしまったものだったらしいと。
そんなことは知らずに見始めたわけですが、

すごかったです!!

いろいろと。

まず、出だしで私はショックを受けました。
あまりのその姿の変わりっぷりに。
「ちょっとこれは、私、大丈夫か?」と不安になりながら、居心地悪くながめておりました。
しかも!
「今日は80曲歌います!」って言ったぞ。
しかもどうやら全曲フルコーラスで行くらしいぞ。
しかも、めちゃくちゃ走り回っとるぞ、最初からずっと。
「ちょっとこれは、ジュリー,大丈夫か?」と、さらに不安を募らせながら、さらに居心地悪くながめておりました。

ところが。
「これってすごいダイジェストなんやろな」と気づき始めたころ、恐ろしいことにいろいろと気づき始めたのです。
なぜ、今のこのジュリーが東京ドームに3万2千人も集められる?
そして、なぜ観客のほとんどが昔のヒット曲以外の曲でもノリどころを知っててついて行っている?
なぜ、中盤になっても走り回っている?
なぜ、こんなに走り回ってるのに、息切れもせず伸びやかな声で歌える?
昔と声が変わってない!
60歳なのに!
いや、なんか、これ、すごい!

その昔,ジュリーファンだったころの私はテレビっ子。
洋楽なんかにはとんと疎く、テレビで流行ってるヒット曲が大好き。
ジュリーの曲もとにかく大ヒットした曲が大好き。
なのに、初めて聞く曲で感動してるわ,今日の私。

しみじみ嬉しくなって、しみじみドキドキして、涙が出そうになりました。

翌日、気になってこのコンサートの情報を探したら、記事もビデオも出るわ出るわ。
あらためてジュリーの偉大さに感服。
コンサートダイジェスト版といろんな情報を眺めた後に感じたことは、「人は年を取る。年齢とともに変わっていく。それはとても当たり前のこと。姿形も、考え方も、行動も全部変わっていく。過去にこだわってはいけない。今を大事に過ごせばいい。自分が自分であることは変わらない。今の自分を楽しめばいい」ということでした。

いや、最近仕事への取り組み方が以前と変わってきてて、どうなの?ってうじうじ思っていたものだから、そういうところに反映させてしまったのでした。

それにしても!
まったく新しい感動を与えてくれた今のジュリー、ありがとう!
絶対そのうちまたコンサートに行きたいわ。
アメリカに来て公演してよって思ってたけど、そんなちまちました舞台は似合わない。
私が出向きます。

ちょっと検索してる間に「田中 裕子(たなか ゆうこ、本名・澤田 裕子)」なんていう記述を見つけて、やはり落ち込む。
ジュリーファンの本質は変わりません!

いろいろ検索した中でこの方の記事が一番読み応えがありました。よかったらどうぞ。こちらをクリック